日本が遠くなっていく中で、それでも自分はどこへ向かうのか。

日本が遠くなっていく中で、それでも自分はどこへ向かうのか。

バルセロナに住み始めてしばらく経った。そして、ふと、日本が遠くなっていることに気づいた。

物理的な距離の話ではない。飛行機に乗れば日本には帰れる。連絡しようと思えば、家族にも友人にも仕事相手にもすぐに連絡できる。パソコンを開けば、日本語のメールがあり、Slackがあり、日本で続いている仕事がある。

それでも、日本にいたときの空気、仕事に向き合っていたときの感覚、朝起きて当たり前のように今日やることを考えていた自分——その輪郭が、少しずつぼやけていく。

海外で暮らしたことのある人なら、似たような感覚を覚えたことがあるかもしれない。住み始めの慌ただしい手続きがひと段落すると、日本にいたときには感じたことのない、独特の孤独がふと忍び込んでくる。

自分はなぜここへ来たのだろう。ここで何をしようとしているのだろう。

日本から眺めていたこの街には、夢があり、希望があり、可能性があった。けれど、それが現実の暮らしになってみると、そこにあるのは美しい景色だけではない。ビザのこと、仕事のこと、お金のこと、言葉のこと、将来のこと。海外で暮らすということは、自由と引き換えに、答えのない問いを毎日のように抱えることでもある。

5月に入り、すでに夏の熱気に包まれ始めたバルセロナを離れて、カナリア諸島のグランカナリア島へ向かった。

カナリア諸島は、地球上で最も気候に恵まれた常春の島々と言われている。年間の平均気温は21度前後、晴れの日は年間300日以上。冬になると、寒くて暗い北ヨーロッパから、太陽を求めて多くの人がやってくる。

滞在中、曇り空は一度も見なかった。最高気温は21度。暑すぎず、寒すぎず、ただ心地いい。素晴らしい気候だった。

島でいちばん大きな街、ラスパルマスに泊まり、ビーチで横になったり、波打ち際を歩いたり、レンタカーで島をのんびり回ったりして過ごした。ここまで来ると日本人に会うことはないと思っていたけれど、ある朝、ビーチを散歩していて見つけたスペシャルティコーヒーの店に入ると、日本人のバリスタが「こんにちは!」と声をかけてくれた。

オーツミルクラテを頼みながら、少し話をした。

彼はスペインに住んで6年。去年サンセバスティアンからグランカナリアに移ってきたという。僕が最近バルセロナに越してきたこと、ビザのこと、それぞれの街のこと。海外で日本人同士が出会うと、自然とそういう話になる。

ひと通り話したあと、何気なく聞いた。

「スペインでの暮らし、どうですか?」

彼は少し間を置いて、こう言った。

「お金はないけど、本当に豊かです」

その言葉が、しばらく頭から離れなかった。

明るい言葉のようでいて、その奥には、日本の価値観から少し離れた場所で、自分にとっての豊かさを何度も問い直してきた時間があるように感じた。お金があること。安定していること。社会に認められること。日本にいると、それが人生の正解のように見えやすい。けれど、スペインで出会う日本人たちは、少し違うものさしを持っているように見える。

それは自由にも見えるし、孤独にも見える。強さにも見えるし、諦めにも見える。でも少なくとも、自分の人生を自分で引き受けようとしている人の言葉だった。

グランカナリアの後は、妻と妻の友人がどうしても行きたいと言っていたサンセバスティアンへ向かった。

ビルバオ空港に着いてバスに乗り込んだ瞬間、後ろから日本語が飛んできた。

「沖縄から来たんですか!?」

「え、いや、あの……」

答えかけると、彼は笑いながら言った。

「服の後ろにOKINAWAって書いてあったんで!」

そのとき、北谷のカフェで買ったトレーナーを着ていることにようやく気づいた。なぜか「ありがとうございます」と返してしまった。

声をかけてくれたのは大学生だった。新潟の大学からビルバオに1年間の交換留学中。サッカーが好きで、なかでもビルバオのクラブのファンだから、という理由だけで留学先を決めたらしい。

「ビルバオに観光ですか?」

「いえ、サンセバスティアンに行きます」

すると彼は、少し嬉しそうに言った。

「サンセバスティアンは当たりですよ。本当に最高です。数年前から久保建英選手の影響で、日本語メニューを置くバルも出てきていて、日本人というだけでみんなすごく親切にしてくれるんです。お気に入りの店、いくつか教えますね」

そう言ってバス乗り場まで案内してくれると、彼はビルバオの街へ消えていった。

スペインで、これほど立て続けに日本人と話すとは思っていなかった。グランカナリアのバリスタ。ビルバオの大学生。それぞれがそれぞれの理由でスペインにいて、それぞれの場所で暮らしていた。楽しそうで、陽気で、スペインの空気に少し染まっているように見えた。けれど同時に、その奥には、外国でひとり生きる人にしかわからない孤独もあるように感じた。

サンセバスティアンでは、バルやカフェを10軒以上はしごした。海があり、山があり、古い街並みがあり、歩いているだけで満たされるような場所だった。

それでも、1週間ほどバルセロナを離れている間、何度もバルセロナが恋しくなった。

戻ってきた瞬間、その理由は気候なのだと、体で理解した。

バルセロナの空気は、少なくとも僕たちにとっては良薬のようなものだ。歩くだけで、息をするだけで、体が内側から元気を取り戻していく。言葉ではうまく説明できない。実際にこの街を歩いてみないとわからない感覚だと思う。

戻ってからは、その心地よさに家でじっとしていられなくなった。ひたすら太陽を追いかけて歩く日々に戻った。理由もなく、ただ歩き続ける。足が痛くなるまで。陽が沈むまで。

その一方で、日本はますます遠くなっていく。

僕たちは、少なからず日本で仕事をしている。スペインにいられるのも、リモートワーカー向けのデジタルノマドビザがあり、日本での仕事が続いているからだ。それなのに、バルセロナやグランカナリア、サンセバスティアンで時間を重ねるうちに、日本で働いていたときの感覚が少しずつ薄れていく。

日本って、どんなところだったっけ。

日本での仕事って、どんなふうにやっていたっけ。

パソコンを開く。日本語のメッセージを読む。やるべきことはわかっている。でも、画面の向こうにある日本の温度が、前ほどはっきり思い出せない。

もし、このまま日本の仕事がなくなっていったらどうなるのだろう。続けるのも、やめるのも、自分次第だ。それはわかっている。でも、日本があまりに遠く感じられて、前のように仕事に向き合えなくなってきている気がする。そのことで、最近は本当に悩んでいる。

今やっていることは、本当に自分の人生に必要なことなのだろうか。

日本にいたときは、仕事に対してそんな問いを持つことはほとんどなかった。目の前にやるべきことがあって、それをこなしていくのが日常だった。でも、バルセロナで暮らし始めてから、その当たり前が少しずつ揺らいでいる。

やるべきことは、頭ではわかっている。持ち運べるビジネスを複数持つこと。場所に縛られず、自分たちの暮らしと矛盾しない形で収入をつくること。でも、どうやって。この問いが何度もループする。パソコンに向かって考え、外に出て、バルセロナの街を歩きながら考える。それでも、問いは消えない。

バルセロナは、不思議なほど毎日何かが起きている。朝はマラソン大会で街が沸き、夕方にはFCバルセロナの優勝パレードがあり、翌朝には教育関係のデモが始まっている。スーパーには新鮮な野菜と果物が並び、街を歩けば、日の当たるテラス席で人々が楽しそうに食事をしている。出会う人は親切で、嫌な思いをすることもほとんどない。

人は、本当はこんなにも楽しく生きられるはずなのだと思う。それなのに、僕はあれこれと悩み続けている。

それは、僕がスペイン人ではないからかもしれない。スペイン語が話せないからかもしれない。どこへ行っても、僕は日本人なのだ。

日本が遠くなっていく。でも、日本人である自分からは逃れられない。その矛盾の中で、僕はバルセロナにいる。

サンセバスティアンにいたとき、祖父が亡くなったと家族から連絡が来た。

祖父は、今の僕の原点をつくってくれた人だった。

記者として約40年働いたあと、定年してからは、亡くなるその日まで旅を続けた人だった。移動手段は自転車。何台もの自転車を日本各地の駅に置いて、自転車だけで日本の旧国道をすべて走りきった。70代になってからは飛行機の乗り方を覚え、自分で航空券を手配し、折りたたみ自転車を千歳空港まで持ち込んだ。亡くなったのも、京都の山奥でバスが予定どおりに来なかったので、歩いて目的地に向かう途中で力尽きたからだという。最後まで、祖父らしい最期だった。

すぐに帰国することも考えた。けれど、スペインに残った。そのことに、少し後ろめたさもあった。でも同時に、祖父ならどう思うだろうとも考えた。

祖父が教えてくれたのは、旅の楽しさだった。どこまでも遠くへ行くことの喜びだった。知らない場所へ向かうこと。自分の足で進むこと。予定どおりにいかない道の中で、それでも何かを見つけること。

祖父は自転車で日本の道を進み、僕はパソコンを持って国境を越えている。生き方も働き方も、かつては想像もできなかった形に変わってきている。僕もその変化の中にいる一人なのだと思う。

だからこそ、不安になるのは当たり前なのかもしれない。答えがないのも、当たり前なのかもしれない。日本が遠くなっていく感覚も、どこへ向かっているのかわからない怖さも、今の自分に必要な過程なのかもしれない。

こうして気持ちを書き出していると、ほんの少しだけ心が落ち着く。書くことは、僕にとっての精神安定剤なのかもしれない。不安になると、いつも何かを書きたくなる。書いたからといって状況がすぐに変わるわけではない。それでも、書くという行為が、内側で絡まっている何かを少しずつほどいてくれる。

日本が遠くなっていく。それは寂しいことでもあり、怖いことでもある。けれど同時に、今までとは違う場所へ進み始めている証なのかもしれない。

どこへ向かっているのかは、まだわからない。ただひとつわかっているのは、僕はまだ歩くことをやめたくないということだ。

外国人として、旅人として、知らない土地で生きる孤独と不安。これからしばらくは、それと向き合い続ける人生になるのだと思う。それでも、未来への希望だけは手放さずにいたい。

もう少しだけ、歩き続けてみようと思う。

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